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天国の鍵
ハーベスト・ロゴス・プランについて

の御国への呼びかけ運動です。

地上界・霊界・天国・天界・創造主から成る万物。

死後の世界でも学びは続き最終的には魂を天界(エーテリア界)

「収穫」させることが創造主の永遠の御計画です。

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人間は肉体を以って地上界(コーポリアル界)で生き、肉体が死滅すると、霊としてアトモスフェリア界に行く。これが雲に象徴される「より希薄な世界」だ。肉体を離れた霊はアトモスフェリア人として、「より低い天国」とも呼ばれる「束縛された天国」で生きることになるため「束縛された霊」と呼ばれる。霊がいっさいのこだわりを捨て、利他に生きる喜びを知り、完全に自由になったとき、自由自在の至高の世界である天界(エーテリア界)に旅立つ。そのエーテリア界というのは、いっさい同じものがなく、雪の結晶のように美しく、多様で壮麗な世界なのだと創造主は云う。

 

雪の結晶のデザインこそ、神が創造したデザインそのものでありエーテリア界の構造をあらわす。

宇宙全土を統括する至高の存在が光の源の主である。源の主は全宇宙の隅々まで存在するが、源の主が住む世界がもっとも希薄で力の強い「エーテリア界」である。そのエーテリア界には、大勢の大天使、神々や女神、首長、検査官などの役職名を持つ「エーテリア人」が存在している。

 

(中略)

 

エーテリア界の下部世界として、エーテリア界よりも密度の濃い「アトモスフェリア界」がある。アトモスフェリア界は、いわばコーポリアル界とエーテリア界をつなぐ中間の世界であり、物質世界の人間から見れば無形であり、形があっても常に変化しているように見える。アトモスフェリア界に住むのは、霊とか天使、首長とか神と呼ばれる天使たちだ。

 

そして組織の最下部にあるのが「コーポリアル界」。一種の閉ざされた、それ自体には力のない「目に見える世界」である。現在、我々がいる世界だ。コーポリア界に住む人間はやがて死ぬと、霊となってアトモスフェリア界で暮らすようになる。肉体が滅び、初めて霊として“生まれた人間”は「エスヤン」と呼ばれている。いわば霊界(アトモスフェリア界)の一年生みたいなものだ。

 

また『オアスペ』では、肉体を持った人間がアトモスフェリア界の霊に生まれることを「第一の復活」と呼んでいる。アトモスフェリア界で霊は、霊的世界の勉強をしたり、他者を楽しく助けることを学んだりする。

 

(中略)こだわりの少なさとか、不純のなさ、などに応じてそれぞれの希薄さや自由度に適したコミュニティを形成する。その各自のコミュニティで、霊や天使が仕事や奉仕をして利他主義が喜びになると、アトモスフェリア界の天使や霊たちは一種の宇宙船に乗ってエーテリア界に飛び立ち、エーテリア人になる。これが「第二の復活」だ。

 

 

(中略)霊界(アトモスフェリア界)もやはり他者を助けてなんぼの世界であるようだ。そして源の主のいう「永遠の生命」とは、人間がコーポリアル界、アトモスフェリア界で経験を積み、最終的にはエーテリア人として宇宙の創造と統治を手伝う「天界の共同継承者 (joint heirs in heven) 」になることであるというのだ。

『オアスペ書より』

天の法則と地上の法則は逆説的なことが多く、必ずしも地上で精通することが天国でも精通するとは限らない。天上界での高級霊格者の特徴をひとまとめにすれば、魂がいかに神に近しいものであるか、利他的であり、愛にあふれ、勇気や実行力がありリスクをいとわない者。純粋かつ幼子のようであるか、である。

 

ちなみに一見カリスマ性を放つルシファー(ルシファーは自分が神になりたかったために主に反逆したのがそもそもの始まりである)に見込まれた者「自己崇拝者・教祖」は偽指導者であり神に反逆する擬態者である。

 

だが、上記で述べたようなそのように精錬された霊格の高い者は、現れては消えていき、ほとんどその後は上の領域へと昇格していくのでほとんど地上においてはいわゆる「本物」はいないに等しい。

 

人間が地上に制約されている理由は「罪」か「自殺」か「殺人」か「虚偽」がかかわっているのである。もしくは、肉体を以って地上の人間の支援を目的に降りて来る霊もいるが、ほとんど眠ってしまってるかつぶされる。預言者や聖人やマスターたちが聖書や歴史上において迫害され消されてきたのは、世の君主であるサタンの標的にされて地上界とは「聖別」される。栄誉あることなのである。上層部から降りてきた高級霊格者である指導者たちはそういった道を行くことが多い。

​創造主が預言者を通して自動書記させた預言書である「聖書」をガイドラインにして、内面が創り変えられること,一新すること,みことばを守ることと実行することによって霊格は上がるが「神は心を見る」。であるからにして,偽善の思いや行いではノーカウントである。

 

深みが増すごとにその器に天上界の神の光とエーテリア界に不変にあり続けている神の叡智が注がれていく。これは「知恵」とは全く異なる。「知恵」とは地上界において学んだことであって「地」に属するものである。

 

天上界や天国においては,すでに光の源が時のはじめから,完成されたもの,すでに存在する天の仕組みであり完全不変であり続けているのでそれそのものに「変化」はない。よって「知恵」ではく「叡智」である。

 

人間は自分で獲得していくことが必要である。自分で気づき学び,それを行う。それによって自分が神のどの器官に属する者であるか?何者であるかを思い出すのである。

人生に意味はない「体験」にのみ集約されている各々の役割と神のどの器官であるか、とそれによる体験である。

​『ミカエラ自動書記より』

 

エーテリア界は、結晶体、アーチ、曲線の道、それに角度のついた道で溢れているので、人間が一人で100万年かけて旅をしたとしても、そこに存在する美しさと壮大さの半分も見ることはできない。天国の天空には何百億ものエーテリアの世界がある。あなたがたはここにある雪の結晶を、エーテリア界にある無数の世界の、極微の模様・パターンであると思って見なさい。

 

創造の源。そこには初めも終わりもなく

たくさんは一つであり、一つはたくさんである。

そして、過去・現在・未来は同時に変えられる。

「私(創造主)は、彼らに伝える。私の子どもたちには偶像を持つことを許可したが、今やあなたがたは大人なので、偶像を捨てて、至高の源を受け入れなさい」

 

「そして、『バラモン教徒の原理、仏教徒の原理、儒者の原理、キリスト教徒の原理、またはイスラム教徒の原理を私は崇拝します』とは、もはや誰にも言わせはしない。なぜなら、これらのすべては、戦争と破壊という結果に終わることを、自ら証明してきたからだ

オアスペ書より』

*ミカエラ自動書記

地上では善と悪のバランスの法則が存在する。どちらかが一方に傾きすぎることもなく必ずバランスがとられてしまうものだ。上に行けば行くほど後に低められ、低められ下げられるほど後に上がっていく。先に行くものが後になり、後を行くものが先になる。そのタイミングは個々に違っているが天秤にかける秤のようにエネルギーバランスがとられてしまう。よく一発屋などという言葉があるがまさしくそれがわかりやすい例えである。一方に傾きすぎたときにも文明は滅んできてしまったし、栄えて調和的な時期もあったが法則的に完成させてしまうと衰退の方向に戻っていく。偉業を成した徳川家康もこの法則をなぜかよく知っており「満つれば欠ける」という言い伝えに従い、東照宮には一本だけ逆さ柱を造った。わざと未完成の状態にすることで災いを避け衰退を防ぐためであった。不完全な部分があることで、その状態を保ち続けることができるのだ。宇宙界にも実は善と悪の存在はあってバランスの法則になっている。完全に光のみのエーテリア神界の領域に行くにはあらゆる魂レベルでの執着から解き放たれた時であり、奉仕することに対する喜びに目覚めた段階である。十代のころ、一切闇のない苦しみもない光の愛に満ちた領域からの白い長老の姿をしたマスター(白ガンダルフに少し似ていた)に夢でコンタクトした時もあった。そこにいるだけで究極の愛と幸福と光があり闇が入る隙間もなかった。同時に懐かしくもあった。そこに行くにはあらゆるレベルでの魂の執着から解放された時。やり遂げたような気持ちであり赦しである。赦しとは相手を赦すというよりその相手の魂の役割や段階を理解し、こちらの抱えていたい感情の執着が無くなった時だ。そう、その時に魂はあらゆる執着が消え源の光に満たされて自由になる。頭頂部がパッカーンと拓き体中にあたたかな天の光が流れて繋がった感覚。自身がその領域と一体になるのである。仏教ではそれを「悟り」というのかもしれない。苦しみから解放されるにはどうしたらよいか。それは悟りの領域、つまりあらゆるレベルでの執着心から魂が解放され自由になった時である。好奇心や探究心があるときはまだ魂の旅は続いていく。すべての執着が消えて魂が自由になった時に天界人になれる。生存時は頭頂部の開き具合が肝心要である。頭頂部を遮断せずに解放することで源とのつながりを再び取り戻すことが可能になる。身体にある細胞のように全ての魂も神の源の一部であり、器官である。そしてすべての源に還った時にわかるのは…すべてが自分自身であるということ。善と悪・こことあちら・上であり下・左であり右・寒さであり熱さ・蔑みと崇高・無価値観と高貴さ・光であり闇・愛と赦し…自身の魂の両側の体験であったということなのである。

祈祷書より 賛美の歌

 

神よ、あなたを賛美し 主よ、あなたをたたえる 

永遠の父よ 造られた者は皆あなたをたたえる

み使いと天の力あるもの皆主に向かい 

ケルビムとセラフィムも絶え間なく賛美を歌う。

 

聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主 

主の栄光は天地に満つと 

 

栄光ある使徒の組、誉ある預言者の群れ 

白い衣の殉教者の隊、主をほめたたえる。

 

世界に広がる聖なる教会もあなたをたたえる 

尊厳限りない父を あがむべきまことの独り子 

 

とりなし主、導き主なる聖霊を。

キリストよ、あなたは栄光の王。永遠にいます神の御子。

 

私たちに自由を与えるため、人となられたとき、

おとめの胎もいとわれなかった。

 

主は死の苦しみに勝ち、信じるものに天国の門を開かれた。

主は栄光の内に神の右に座し、

 

裁き主として来られることを信じる。

主よ、来て、助けてください。

 

尊い血で贖われたあなたの民を聖徒たちと共に 

永遠の栄光にあずからせてください。アーメン。

 

​※霊感を感じた場合に書記をするので随時更新していきます。

※長年の訓練を受けた者が行います。

※個人の呼びかけ運動と自動書記によるものであり所属する教会とは一切関係のない内容となります。

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